とにかく良くて

忙しい日常から少し離れ、別次元に身を置く。春彼岸です。

念仏を皆さんと一緒に称えている一瞬一瞬がとにかく良くて、たくさんお念仏をお称えしました。

元気で暮らしている。その有り難さに気づかせて下さい。

生まれた時から亡き人、ご先祖様の護り導きをいただいている。そのことに気づかせて下さい。

あらゆる場面で自分本意でいることに気づかせて下さい。

ものごとのすじみちを理解していない。そのためにいつもいらいらしている自分に気づかせて下さい。

阿弥陀様は頼めば私達に気付きを与え、助け、護ってくれる。その大きな慈悲の力を感じることが出来ますように。

ひたすら念仏を称えました。

手のひらには仏様の御足

五体投地  全身で仏への敬いを表します。
一時間のお話もあっという間でした。

 

 

 

E833FEF8-731B-49F9-AAE3-60E8B7E37A2F.jpeg
おさがりはおてらおやつクラブを通じてひとり親の子供たちへ

 

 

失敗は忘れたいものですが得るものも大きい。必ず糧となります。謙虚にしたたかに。

 

梅の頃 桜の前

お彼岸前の梅の時期が好きです。

法要前に本堂を清めたり、仏像の開眼式などでシャスイという儀式をします。そこで使用するのが梅の新芽。原木ならなおの事。側にいるだけで香りと美しさに癒されます。

花の力を感じます。

ウェルカムでいこう

3/9は西念寺にて「出張暮らすルーム」でした。

授業の形で日常に切り取って様々な見方・提案をしてくれる自由参加型日常バラエティ上機嫌講義といったところでしょうか。

こんなに充実した時間なかなか作ろうとして出来るものではなくその場に選んでいただき嬉しく、楽しい時間でした。

「死」について皆さん心を割って語って下さいました。死がこれほど「生」に直結していることを改めて知りました。阿弥陀様の持つウェルカムな空気と暮らすルームの持つウェルカムな空気が響き合って気が付くと一人ひとりのお話に皆が真剣寄添で耳を傾け、寒い夜の本堂も暖かくなっていました。

谷村先生の「意味もなく上機嫌」は、「いろいろあるけどいつも上機嫌で」というなんとも力強い言葉。私のような者には実行は難しいけどそうありたいと心から思います。どうせ生きるなら上機嫌で。出来れば謙虚で思いやりを持って。

講義後は広間へ移動して振り返りフリートーク。コーヒーを淹れながら、皆さんの話していることが気になりながら。あっと言う間の4時間半でした。

出来れば全部出席したい、そして参加された皆さんひとりひとりに心から再会したくなる「暮らすルーム」でした。

3月の言葉

京都黒谷での「法」の伝え方を学ぶ研修が終わりました。

資格をいただいてもそれに見合うことが出来るかどうかは、取り組み方次第。まずは勉強の場があることに感謝。活かせるよう引き締めていきます。

かけひきはいらない。

涅槃図を 四人がかりで 掲げけり

2/15は涅槃会でした。さてお釈迦様はどんな人だったのでしょう?

6年間の難行苦行の末に悟りを開かれたお釈迦様。人々のために「修行」によって苦しみから放たれる方法を示されます。

修行はグループで行われますが、修行を続ける中では様々な問題が起きます。お釈迦様は問題が起きる度にルールや罰則を作り、修行が続けられるようにします。

最も重い罰は修行グループからの追放。しかも永久追放になってしまうほどのしてはいけないこと。それほど悪いこととは思えないしてはいけないこととは?ちょっと意外ですがそれは「自らを省みない」ことです。

自分は「学問をした」と誇ること。自分の「至らなさに目を向けない」こと

 

 

一般世間での善悪とは違い、修行の世界では「妨げとなる行為や態度」はとても厳しく罰せられることになります。

 

「究極の安らぎ」である「さとり」に至るための修行。そしてそれを続けていくためのルール。これを見ていくとお釈迦様の人となりも見えてきます。

御忌・浄焚・懺悔式

img_4305img_4310img_4302img_4283img_4282img_4291img_4284img_4275

最強寒波の中「御忌(ぎょき)会」でした。

「御忌」とは法然上人の命日法要のこと。上人のおかげで阿弥陀仏、お釈迦様とつながっている。

いつもお世話になっている先輩僧の先導によるつつしみと敬いを表す礼拝。意味などわからなくても重なる声と心の温度で、亡き人、仏・菩薩の寄り添いを感じながら会を終えました。

悔いあらためたいことを紙に書き、それを燃やします。書くことで不思議とそれは心に留まり、燃やすという儀式で改まります。今年の甘酒はどうだったかな。

皆さま寒い中お疲れ様でした。